美とは、何か?、利益を産む「デザイン」との因果関係とは(1)

 
「美」の役割とは何か?、

それは、生命のなかに仕組まれて、

あるべき状態へのナビゲーション、水先案内として働きます。



「水先案内」とは、船の針路の案内をすること。転じて、

「未知の分野においてガイド的な役割をはたす」こと、です。
はてなキーワードより)

そこから導きだされるものは「美とは人の急所だ」ということです。

「急所」とは「命(心と体)にかかわる大切なもの」のことをいいます。

この文章は「美とは、何か?、ココ・シャネルのデザイン革命」の続編です。
ここでの文章を読んでも意味が通じてこない場合は、こちらをお読みください。

現代とは「私たちのための美の時代」です。
そして、その美には「富の源泉」としての力が隠れています。
それが、美を探り出すデザインのひとつの正体(因果関係)です。

ゆえに、美は、私たちの生活を形づくる商品の目的、
あるいは、それを担い、利潤を追求する会社の目的として、
必然的に、行き着くようになります。

現代とは、そうした目的が光る、時代です。
なぜならば、私たちが、高次のレベルの欲求として
美(素晴らしさ)に、飢えているからです。

その証左が、2011年に没した、スティーブ・ジョブズの業績です。

パーソナル・コンピューターの黎明期において、
Apple IIで大成功を収め、iMacからはじまる、iPodiPhoneiPadによる
快進撃で、同年8月、彼が経営したアップル社は、
時価総額エクソンモービルを抜き、世界最大の企業になりました。

スティーブ・ジョブズは、デザイナーではありません。

しかし、彼独自のデザインオリエンテッド(美意識による真の豊かさの探索)に
よる経営マネージメントが、時代の核心を射抜いたゆえに、
いま、ビジネスにおける「デザイン指向」が熱く意識されています。

ゆえに、命(心と体)を輝かせる、美(という新機軸)を探り出す、
デザインという開発構造が持っている力で飛躍するために、
ビジネスにおけるデザインを咀嚼・理解、活用することが求められています。

しかし、反面、デザインを咀嚼・理解できている人は、
企業経営者をはじめてとして、あまりいません。
特に中小企業などの組織におけるデザインマネージメントの活用さえも、
現代日本にあっても、いまだ「夜明け前」といってもいいと思います。

美しく見えるから、美しい。
多くの人は、疑いもなくそう考えます。

しかし、「美」とは、何を素晴らしいと考えるかによって、
変わってしまうものです。

ここ(同期関係)に、デザインを解きあかす鍵があります。

ゆえに、「美」はどこからきたのか?
「美」と「形」は、どのように関係を結んでいるのか?
「美」は「富の源泉」あるいは「豊かさ」と、どのような関係があるのか?
「美」で、その時々の人々に、デザイナーは何を仕掛けようとしたのか?
それら(同期関係等)を、腑に落ちるように咀嚼・理解することは、
その「美」がさししめす「何が素晴らしいのか」を解読することにつながります。

そして、読める力、解読能力は、
感性(価値あるものに気づく力)を、高めることにつながり、
転じてリテラシー(活用能力)となります。

「常に、真実は、新しい」というように、

世界も、社会も、人々も、変わるがゆえに、

つねに、新しい「美(覚醒)の発見」があります。

まるでスティーブ・ジョブズのような・・・、
いや、彼のスケールより遥かに大きく、生活における「美による革命」を、
世界において、誰よりも早く社会に仕掛けて、
私たちに現代のデザイン(モダンデザイン)の在り方を気づかせくれる
デザイナーがあらわれます。

それが、19世紀後半のイギリス・ヴィクトリア朝時代で活躍する
「アーツ・アンド・クラフツ・ムーブメント」の
ウィリアム・モリス(1843 - 1896)です。
そのデザインは、壁紙、織物、家具、調度品、ステンドクラス、建築、
書籍装丁など幅広く、主に生活を形づくるものです。

モリスの時代は、イギリスの黄金期であり、産業革命の先駆によって
世界経済の覇権をにぎっていた時代です。当時は、イギリスの市民革命である
17世紀のピューリタン革命、名誉革命(国王と議会の内乱での絶対王政の廃止)に
よって、すでに特権階級が後退しており、18世紀末からはじった
その産業革命は、新たな市民階級を勃興させる力として働いている時代でした。

こうしたなかで、モリスは「美の革命」を起こします。
芸術(美の豊かさ)を、民衆へと、解放しようとします。

パトロンである特権階級とともに「大芸術」が萎えていく時代において、
入れ変わるように、市民階級が中心に踊りでてくる
新しい時代に魁けて「小芸術」という「民衆のための民衆による芸術」を、
モリスはイギリス社会に喚起させていきます。

ゆえに「芸術の民主化」という人もいます。

私たちの今の生活「モダンライフの発火点」がここにあります。
現代とは「私たちのための美の時代」です。美は、私たちの生活を形づくる
商品の目的と使命であり、より豊かな生活(充足)、
より良い人生(成長)という、高次のレベルの欲求を叶えるものですが、
これを、約150年前のこの時代でモリスが提示しました。

そもそも、少数の特権階級(権力の支配者)に、
これら高次のレベルの欲求や、権力と富を誇示するようなことに、
芸術(生を充実させる力)が、歪んだかたちで占有されていることを、
モリスは問題視したわけです。さらに、産業革命で台頭してきた
産業資本家(経済の支配者)の「工場制機械工業(インダストリー)」から
搾取されていた労働者(民衆)の「労働の喜び」も、
彼は、芸術で解放しようとします。当時の労働者は、機械に使われる
主従転倒した存在(機械の奴隷)でしたから。

要するに「民衆の芸術」とは「生活と労働の豊かさ(生の充実)」だからです。

モリスは、劣悪な状態(機械製模倣製品・公害での自然破壊・極度の貧困層)に
陥っている原因を「工場制機械工業(インダストリー)」にあるとして
機械生産そのものに諸悪の根源を見いだして嫌悪していきます。

そこで、中世(ゴシック期)の職人組合であるギルドを模した
「工場制手工業(マニュファクチャー)」でのハンドクラフト(手工芸品)の、
芸術力に、理想と問題解決(真の豊かさによる社会革命)を求めます。
モリス商会という彼の会社をつくり、生産とデザイン運動を行いますが、
彼の急進的な「目的(生活と労働の豊かさ)」を実現することは、
この前近代的な「手段(工場制手工業)」では、
当然ですが、実現できるわけもありません。

民衆に芸術をといいながらも、ハンドクラフトでのその生産数の少なさ、
その工芸品の高価さは、いかに彼のいうクオリティが高くても、
そもそも現実と噛み合わない矛盾がありました。

しかし、名作を残した名も無き、中世の「工人たち」の
すぐれた美技と(その能力を発揮する自由な)働き方を
「芸術(真の豊かさ)」として、贅沢なものではなく適正で端正なもの、
生活における「実質的な機能性」を求めたことは、
今日のモダンデザインの原点だ、という高い評価があたえられています。

彼のデザイン(造形形態)は、自らが表出したいその精神性を
巧みに表現(=連想させる力がある)しています。
そのデザインの中でも名高いのが壁紙のデザインです。
彼の仕事を代表するものですが、人が生活を豊かにするには
「自然」のもつ「美」、生の充実(癒しと活力)が必要だとして、
精緻で端正な美しい植物文様の装飾(パターンデザイン)が凝らされています。

その凛とした英国調生活美術の作品は、今日的なものではありませんが、
時代をこえた美の普遍性をえて、現在でも、世界中で愛され販売されています。

彼が、素晴らしいと考える「芸術(生の充実)」、
つまり「目的」を、ヨーロッパ・ゴシック様式に、
彼の目が範(基本型)を見いだしていたからこそ、
人々を変えうる芸術力(美の力)として、
ゴシック様式の造形形態(植物文様の装飾)を「手段」として選び、
そして美しく抽出(描きだ)しています。

評論家・海野弘氏の「ヨーロッパの装飾と文様」によれば、
ゴシック様式には、中世の封建社会でありながらも
その芸術性においては、工人たちの自由な創造性(能力)を発揮できたようです。
「過去の様式化、形式化から解放されて、自然へのういういしい眼を
とりもどすことが求められた」「自然に対するいきいきとした観察である」と
書かれています。

「手段」である様式(生産方式と造形形態)は、古典的ではありましたが、
「目的」はきわめて先見性のあるものでした。

モリスの起こした、このデザイン運動の「目的」は、
その後の数々の現代的デザインムーブメントを産みだす、
すべての基になる考え、根本的意図(コンセプト)であり、
後の展開を切り開いています。

「美」が、支配者の権威や贅沢のための虚飾の「手段」から、
「美」は、社会の大多数の人々を真に豊かにする「目的」になりました。

このパラダイムシフト(美の転位)が、モダンデザインの口火となり、
モダンデザインの基調(根底に存在する考え方)になります。

民衆の芸術 (岩波文庫 白 201-2)

民衆の芸術 (岩波文庫 白 201-2)

1953年(第1版)の古い本です。絶版です。
ゆえに旧字で、やや読みにくいのですが、
ウィリアム・モリスの出版されている唯一の講話集だと思います。
彼の平易な話言葉に、直にふれたほうが、数々ある出版物より
彼の主張が分かりやすいのではないかと思います。

ウィリアム・モリス
「目的(生の充実)」における「民主化」ならば、
「手段(生産方式)」における「民主化」を実現する
デザイナー(機械工)が現れます。

それが、ヘンリー・フォード(1863-1947)です。

「人民の、人民による、人民のための政治」で有名なリンカーン
アメリカ合衆国で「自動車の民主化」を起こし、
欧州の贅沢品が、米国の実用品となり「生活革命」として、
先進国の基幹産業(富の源泉)へと成長し、
世界の根本的構造(質から量の転位)を変えてしまいます。

それは「生産設計」としての創造性(デザイン)の発揮といえます。

それが、ヘンリー・フォードの「T型フォード」です。
1908年に発売され、インダストリー(工場制機械工業)でデザインされています。
この大量生産品は、発売当時は、他社製が2000ドルの時、
販売価格は850ドルでした。1車種(車台を共通にした7種類がある)の
限定生産で効率がよく、1908年には12時間半、
1914年では1時間半に、1920年には、1分で、1台という
現代と同じペースで生産されています。しかも年々値下げして、
18年後の1925年には、三分の一以下の260ドルになってしまいます。

さらに、労働者が、T型フォードを購入するのに、
1909年には平均的な労働賃金の22ヶ月を要したのが、
1925年にはわずか3ヶ月ですむようになります。
それは、製品価格の値下げだけでなく、
フォードが、1914年から、日給を倍の5ドルに引き上げたからです。

このことによって、全米から就職希望者が殺到し、
その労働者がその賃金で、また、顧客になるという大きな循環がうまれました。
ゆえに、フォードは、こういわれます。
自社の労働者を、消費者(富の源泉)として、発見したのだ、と。

そして、米国フォード・モーター社・創設者である
ヘンリー・フォードは、世界有数の富豪になります。

この製品の革新性は、労働者が、消費者(顧客)にもなれ、
労働者にも、運転者にも、高度な技術を必要としないところにあります。

競合する他社製より堅牢でシンプル、操作しやすく、素人でも修理もしやすい
そして、単純労働しかできない欧州からの移民の労働者が多いため、
機械を多用することと、高度な作業は細かく切り分けられ単純化し、
ベルトコンベアに労働者を並列させての流れ作業方式は、
働く者を選ばなかったのです。

労働者への高賃金、製品の低価格販売は、大衆の購買力を高め、
社会の繁栄につながり、米国に、豊かな大衆消費社会をもたらしました。

そもそも、ヘンリー・フォードは、
農民出身であり、彼が素晴らしいと考える自動車とは
「農民のための質実剛健で荒れ地でも走れるもの」でした。
その「目的」をかなえるための「手段」が、インダストリーの
大量生産だったわけです。

欧州で発明された自動車とは、少数の貴族や金持ちのステイタス・シンボル、
遊び道具が「目的」であり、その価格の高さもあまり問題視されない
贅沢な高級車は、その「手段」を、全ての工程をこなせる
少数の熟練工の一品製作のような特注品なのです。

新たな時代の世界は、大衆を中心として動きだします。
欧州の工芸の伝統に基づく生産方式(または造形様式でも)では、
社会を豊かにするために、製品(発明品)の本来の価値(潜在的能力)を
ひきだせず、その「目的」をかなえる「手段」としてなりえないのが
明白に証明されました。

そして、大衆社会にふさわしい新たな様式、
つまり、造形形態としてのモダンデザインが必要とされるとき、
この製品の革新性である「共用性(人を選ばない/ユニバーサル)」と
いわれるものが、その展開を触発させることにつながります。

つづく・・・・・・・



このページの文章は、以下の続編になっています。興味のある方はお読みください。
「美とは、何か?、ココ・シャネルのデザイン革命。」
美とは、何か?、それは人の急所です。 - VIデザイン=解釈の創造性「美とは、何か?、それは人の急所です。」


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