美とは、何か?、利益を産む「デザイン」との因果関係とは(1)

 
「美」の役割とは何か?、

それは、生命のなかに仕組まれて、

あるべき状態へのナビゲーション、水先案内として働きます。



「水先案内」とは、船の針路の案内をすること。転じて、

「未知の分野においてガイド的な役割をはたす」こと、です。
はてなキーワードより)

そこから導きだされるものは「美とは人の急所だ」ということです。

「急所」とは「命(心と体)にかかわる大切なもの」のことをいいます。

この文章は「美とは、何か?、ココ・シャネルのデザイン革命」の続編です。
ここでの文章を読んでも意味が通じてこない場合は、こちらをお読みください。

現代とは「私たちのための美の時代」です。
そして、その美には「富の源泉」としての力が隠れています。
それが、美を探り出すデザインのひとつの正体(因果関係)です。

ゆえに、美は、私たちの生活を形づくる商品の目的、
あるいは、それを担い、利潤を追求する会社の目的として、
必然的に、行き着くようになります。

現代とは、そうした目的が光る、時代です。
なぜならば、私たちが、高次のレベルの欲求として
美(素晴らしさ)に、飢えているからです。

その証左が、2011年に没した、スティーブ・ジョブズの業績です。

パーソナル・コンピューターの黎明期において、
Apple IIで大成功を収め、iMacからはじまる、iPodiPhoneiPadによる
快進撃で、同年8月、彼が経営したアップル社は、
時価総額エクソンモービルを抜き、世界最大の企業になりました。

スティーブ・ジョブズは、デザイナーではありません。

しかし、彼独自のデザインオリエンテッド(美意識による真の豊かさの探索)に
よる経営マネージメントが、時代の核心を射抜いたゆえに、
いま、ビジネスにおける「デザイン指向」が熱く意識されています。

ゆえに、命(心と体)を輝かせる、美(という新機軸)を探り出す、
デザインという開発構造が持っている力で飛躍するために、
ビジネスにおけるデザインを咀嚼・理解、活用することが求められています。

しかし、反面、デザインを咀嚼・理解できている人は、
企業経営者をはじめてとして、あまりいません。
特に中小企業などの組織におけるデザインマネージメントの活用さえも、
現代日本にあっても、いまだ「夜明け前」といってもいいと思います。

美しく見えるから、美しい。
多くの人は、疑いもなくそう考えます。

しかし、「美」とは、何を素晴らしいと考えるかによって、
変わってしまうものです。

ここ(同期関係)に、デザインを解きあかす鍵があります。

ゆえに、「美」はどこからきたのか?
「美」と「形」は、どのように関係を結んでいるのか?
「美」は「富の源泉」あるいは「豊かさ」と、どのような関係があるのか?
「美」で、その時々の人々に、デザイナーは何を仕掛けようとしたのか?
それら(同期関係等)を、腑に落ちるように咀嚼・理解することは、
その「美」がさししめす「何が素晴らしいのか」を解読することにつながります。

そして、読める力、解読能力は、
感性(価値あるものに気づく力)を、高めることにつながり、
転じてリテラシー(活用能力)となります。

「常に、真実は、新しい」というように、

世界も、社会も、人々も、変わるがゆえに、

つねに、新しい「美(覚醒)の発見」があります。

まるでスティーブ・ジョブズのような・・・、
いや、彼のスケールより遥かに大きく、生活における「美による革命」を、
世界において、誰よりも早く社会に仕掛けて、
私たちに現代のデザイン(モダンデザイン)の在り方を気づかせくれる
デザイナーがあらわれます。

それが、19世紀後半のイギリス・ヴィクトリア朝時代で活躍する
「アーツ・アンド・クラフツ・ムーブメント」の
ウィリアム・モリス(1843 - 1896)です。
そのデザインは、壁紙、織物、家具、調度品、ステンドクラス、建築、
書籍装丁など幅広く、主に生活を形づくるものです。

モリスの時代は、イギリスの黄金期であり、産業革命の先駆によって
世界経済の覇権をにぎっていた時代です。当時は、イギリスの市民革命である
17世紀のピューリタン革命、名誉革命(国王と議会の内乱での絶対王政の廃止)に
よって、すでに特権階級が後退しており、18世紀末からはじった
その産業革命は、新たな市民階級を勃興させる力として働いている時代でした。

こうしたなかで、モリスは「美の革命」を起こします。
芸術(美の豊かさ)を、民衆へと、解放しようとします。

パトロンである特権階級とともに「大芸術」が萎えていく時代において、
入れ変わるように、市民階級が中心に踊りでてくる
新しい時代に魁けて「小芸術」という「民衆のための民衆による芸術」を、
モリスはイギリス社会に喚起させていきます。

ゆえに「芸術の民主化」という人もいます。

私たちの今の生活「モダンライフの発火点」がここにあります。
現代とは「私たちのための美の時代」です。美は、私たちの生活を形づくる
商品の目的と使命であり、より豊かな生活(充足)、
より良い人生(成長)という、高次のレベルの欲求を叶えるものですが、
これを、約150年前のこの時代でモリスが提示しました。

そもそも、少数の特権階級(権力の支配者)に、
これら高次のレベルの欲求や、権力と富を誇示するようなことに、
芸術(生を充実させる力)が、歪んだかたちで占有されていることを、
モリスは問題視したわけです。さらに、産業革命で台頭してきた
産業資本家(経済の支配者)の「工場制機械工業(インダストリー)」から
搾取されていた労働者(民衆)の「労働の喜び」も、
彼は、芸術で解放しようとします。当時の労働者は、機械に使われる
主従転倒した存在(機械の奴隷)でしたから。

要するに「民衆の芸術」とは「生活と労働の豊かさ(生の充実)」だからです。

モリスは、劣悪な状態(機械製模倣製品・公害での自然破壊・極度の貧困層)に
陥っている原因を「工場制機械工業(インダストリー)」にあるとして
機械生産そのものに諸悪の根源を見いだして嫌悪していきます。

そこで、中世(ゴシック期)の職人組合であるギルドを模した
「工場制手工業(マニュファクチャー)」でのハンドクラフト(手工芸品)の、
芸術力に、理想と問題解決(真の豊かさによる社会革命)を求めます。
モリス商会という彼の会社をつくり、生産とデザイン運動を行いますが、
彼の急進的な「目的(生活と労働の豊かさ)」を実現することは、
この前近代的な「手段(工場制手工業)」では、
当然ですが、実現できるわけもありません。

民衆に芸術をといいながらも、ハンドクラフトでのその生産数の少なさ、
その工芸品の高価さは、いかに彼のいうクオリティが高くても、
そもそも現実と噛み合わない矛盾がありました。

しかし、名作を残した名も無き、中世の「工人たち」の
すぐれた美技と(その能力を発揮する自由な)働き方を
「芸術(真の豊かさ)」として、贅沢なものではなく適正で端正なもの、
生活における「実質的な機能性」を求めたことは、
今日のモダンデザインの原点だ、という高い評価があたえられています。

彼のデザイン(造形形態)は、自らが表出したいその精神性を
巧みに表現(=連想させる力がある)しています。
そのデザインの中でも名高いのが壁紙のデザインです。
彼の仕事を代表するものですが、人が生活を豊かにするには
「自然」のもつ「美」、生の充実(癒しと活力)が必要だとして、
精緻で端正な美しい植物文様の装飾(パターンデザイン)が凝らされています。

その凛とした英国調生活美術の作品は、今日的なものではありませんが、
時代をこえた美の普遍性をえて、現在でも、世界中で愛され販売されています。

彼が、素晴らしいと考える「芸術(生の充実)」、
つまり「目的」を、ヨーロッパ・ゴシック様式に、
彼の目が範(基本型)を見いだしていたからこそ、
人々を変えうる芸術力(美の力)として、
ゴシック様式の造形形態(植物文様の装飾)を「手段」として選び、
そして美しく抽出(描きだ)しています。

評論家・海野弘氏の「ヨーロッパの装飾と文様」によれば、
ゴシック様式には、中世の封建社会でありながらも
その芸術性においては、工人たちの自由な創造性(能力)を発揮できたようです。
「過去の様式化、形式化から解放されて、自然へのういういしい眼を
とりもどすことが求められた」「自然に対するいきいきとした観察である」と
書かれています。

「手段」である様式(生産方式と造形形態)は、古典的ではありましたが、
「目的」はきわめて先見性のあるものでした。

モリスの起こした、このデザイン運動の「目的」は、
その後の数々の現代的デザインムーブメントを産みだす、
すべての基になる考え、根本的意図(コンセプト)であり、
後の展開を切り開いています。

「美」が、支配者の権威や贅沢のための虚飾の「手段」から、
「美」は、社会の大多数の人々を真に豊かにする「目的」になりました。

このパラダイムシフト(美の転位)が、モダンデザインの口火となり、
モダンデザインの基調(根底に存在する考え方)になります。

民衆の芸術 (岩波文庫 白 201-2)

民衆の芸術 (岩波文庫 白 201-2)

1953年(第1版)の古い本です。絶版です。
ゆえに旧字で、やや読みにくいのですが、
ウィリアム・モリスの出版されている唯一の講話集だと思います。
彼の平易な話言葉に、直にふれたほうが、数々ある出版物より
彼の主張が分かりやすいのではないかと思います。

ウィリアム・モリス
「目的(生の充実)」における「民主化」ならば、
「手段(生産方式)」における「民主化」を実現する
デザイナー(機械工)が現れます。

それが、ヘンリー・フォード(1863-1947)です。

「人民の、人民による、人民のための政治」で有名なリンカーン
アメリカ合衆国で「自動車の民主化」を起こし、
欧州の贅沢品が、米国の実用品となり「生活革命」として、
先進国の基幹産業(富の源泉)へと成長し、
世界の根本的構造(質から量の転位)を変えてしまいます。

それは「生産設計」としての創造性(デザイン)の発揮といえます。

それが、ヘンリー・フォードの「T型フォード」です。
1908年に発売され、インダストリー(工場制機械工業)でデザインされています。
この大量生産品は、発売当時は、他社製が2000ドルの時、
販売価格は850ドルでした。1車種(車台を共通にした7種類がある)の
限定生産で効率がよく、1908年には12時間半、
1914年では1時間半に、1920年には、1分で、1台という
現代と同じペースで生産されています。しかも年々値下げして、
18年後の1925年には、三分の一以下の260ドルになってしまいます。

さらに、労働者が、T型フォードを購入するのに、
1909年には平均的な労働賃金の22ヶ月を要したのが、
1925年にはわずか3ヶ月ですむようになります。
それは、製品価格の値下げだけでなく、
フォードが、1914年から、日給を倍の5ドルに引き上げたからです。

このことによって、全米から就職希望者が殺到し、
その労働者がその賃金で、また、顧客になるという大きな循環がうまれました。
ゆえに、フォードは、こういわれます。
自社の労働者を、消費者(富の源泉)として、発見したのだ、と。

そして、米国フォード・モーター社・創設者である
ヘンリー・フォードは、世界有数の富豪になります。

この製品の革新性は、労働者が、消費者(顧客)にもなれ、
労働者にも、運転者にも、高度な技術を必要としないところにあります。

競合する他社製より堅牢でシンプル、操作しやすく、素人でも修理もしやすい
そして、単純労働しかできない欧州からの移民の労働者が多いため、
機械を多用することと、高度な作業は細かく切り分けられ単純化し、
ベルトコンベアに労働者を並列させての流れ作業方式は、
働く者を選ばなかったのです。

労働者への高賃金、製品の低価格販売は、大衆の購買力を高め、
社会の繁栄につながり、米国に、豊かな大衆消費社会をもたらしました。

そもそも、ヘンリー・フォードは、
農民出身であり、彼が素晴らしいと考える自動車とは
「農民のための質実剛健で荒れ地でも走れるもの」でした。
その「目的」をかなえるための「手段」が、インダストリーの
大量生産だったわけです。

欧州で発明された自動車とは、少数の貴族や金持ちのステイタス・シンボル、
遊び道具が「目的」であり、その価格の高さもあまり問題視されない
贅沢な高級車は、その「手段」を、全ての工程をこなせる
少数の熟練工の一品製作のような特注品なのです。

新たな時代の世界は、大衆を中心として動きだします。
欧州の工芸の伝統に基づく生産方式(または造形様式でも)では、
社会を豊かにするために、製品(発明品)の本来の価値(潜在的能力)を
ひきだせず、その「目的」をかなえる「手段」としてなりえないのが
明白に証明されました。

そして、大衆社会にふさわしい新たな様式、
つまり、造形形態としてのモダンデザインが必要とされるとき、
この製品の革新性である「共用性(人を選ばない/ユニバーサル)」と
いわれるものが、その展開を触発させることにつながります。

つづく・・・・・・・



このページの文章は、以下の続編になっています。興味のある方はお読みください。
「美とは、何か?、ココ・シャネルのデザイン革命。」
美とは、何か?、それは人の急所です。 - VIデザイン=解釈の創造性「美とは、何か?、それは人の急所です。」


デザイン革命に興味のある方はこちらもお読みください。
『iMacのデザイン革命』


by Axle

美とは、何か?、ココ・シャネルのデザイン革命。

「美」の役割とは何か?、
それは、生命のなかに仕組まれて、
あるべき状態へのナビゲーション、水先案内として働きます。

「水先案内」とは、船の針路の案内をすること。転じて、
「未知の分野においてガイド的な役割をはたす」こと、です。
はてなキーワードより)

そこから導きだされるものは「美とは人の急所だ」ということです。
「急所」とは「命(体と心)にかかわる大切なもの」のことをいいます。

この文章は「美とは、何か?、それは人の急所です」の続編になっています。
ここでの文章を読んでも意味が通じてこない場合は、こちらをお読みください。

「常に、真実は、新しい」といわれるように、
いつの時代にも、人々が、今、輝くための「美」があります。
そして、それを、いつの時代にも、発見する水先案内人がいます。
それが、20世紀のファッション・デザイナー、ココ・シャネル(1888-1971)です。
彼女は、新しい女性の生き方さえもデザイン(水先案内)をしました。

彼女の顧客は、本来、富裕層、上流階級であり、
「美の消費」とは彼女たちのものでした。
後に、こうした富裕層、上流階級の「美の消費」が大衆化しますが、
ここでも、つまり、巨大なアメリカ市場においても、
彼女は名声を得て、自らのブランドを確かなものにしています。
美の本質をものにした彼女の仕事が正しかった証左です。

20世紀の初頭、上流階級の女性たちのファッションは、
羽根や花飾りのある大仰な帽子、胸ははだけて豊満なバストの強調、
ウェストはコルセットで蜂の腰というほど絞り、
ピップは詰め物で後方へせり出され、
スカートは、地面につくほどの長さと大きく膨らんだものでした。

それらは、前世紀からの流れを汲んだ装飾過剰の
息苦しく動きにくいものでしたが、
とても豪華で贅沢なもので、エレガンス(美)とはそういう解釈でした。

しかし、彼女たちが飾っているのは、
自分自身(の能力や魅力の表出)ではないといわれています。
彼女たちが従属する男性の財力や階級を、分かりやすく示すものであり、
女は大人しくしていればいい、という男性の考え方の中で生きていました。

シャネルのシンプルなデザインは、
こうした従来の女性に与えられていた定義、解釈、常識を、
新しい定義を孕(はら)んだエレガンス(美)で書き変えてしまいます。
そして、女性の自由を、女性の心を、解放しました。

ゆえに、シャネルはいいます
「わたしは今、贅沢さの死、19世紀の喪に立ち会っているのだ。」と。

つまり、時代の趨勢はもうすでに違っていました。

18世紀末期のフランス革命によって、
王や貴族たちは特権を失い、大衆は階級から解放され、
産業革命によるブルジョワジー(成金)の台頭もあり、
可能性の時代が到来していました。

ゆえに、富や権力を誇示する時代、
デコラティブ、装飾の時代は終わっていました。

権威と富が世界を動かしていた時代、装飾は輝くように美しかったのです。
フランス王・ルイ14世(1638 - 1715)の肖像画を見てください。
特に注目してほしいのは、日々ハイヒールで鍛えた63歳の王が誇る
白タイツでの脚線美です。ここには、女性以上の美の誇示があります。
実はそれは本来男性のものだといいます。

装飾(美)とは、権力と富の誇示であり、
英語「Decoration(装飾)」は勲章という意味があります。

この装飾の原型、根源的意味は、穀物であるといいます。
貯えておけ、必要に応じて使うことができるもの。つまり装飾が示すものは富です。
王冠や宮殿を飾るオーナメントパターン(装飾図案)は、
すべて、植物(富)が繁茂することをイメージしたデザインです。
そして、蓄えられた冨の強奪が、集団による殺戮、戦争の起源だといわれています。
貴族とは、本来ナイト、ヨーロッパの騎士であり、戦争は彼らの仕事です。

モダニズム建築の先駆者アドルフ・ロース(1870-1933)は、
「人間が自分や生活空間を装飾したいという欲求は野蛮なものであり、
 理性でこれをおさえることが文明の進化にほかならない」と主張しています。
彼は装飾を意外にもすべて否定しているわけではなかったようですが、
言葉通りとっても、的外れといいがたいものがあります。

このように貴族社会から近代市民社会へと移行するなかで、
つまり、権威と富を誇示する装飾という美が没落しつつある時に、
過渡期として登場するのがシンプルの先駆け「ダンディズム」です。

その立役者がイギリスのボー・ブランメル(1778-1840)です。
華やかな宮廷服から、装飾を排除したシンプルなジャケット、ズボン、
糊がきいた真っ白なシャツは、さりげない洗練の極致を示し、
男性服の美的価値基準をゴージャスからシックへとその流れを逆転させました。
現代の目で見ると、それでも装飾的ですが、
これが現代の紳士服(スーツ)の起点だとされています。

貴族階級でなく、平民出身の彼だからこそ、成し得たことでしょう。

「常識のある人は、自分を世間に合わせようとする。
 非常識な人は、世間を自分に合わせようとする。
 ゆえに非常識な人がいなければ、この世に進歩はありえない。」
劇作家のジョージ・バーナード・ショーのことばです。

これはシャネルにも当てはまります。
ダンディズム(伊達気質)はイズムというだけに、
服飾においての主張や行動指針を孕(はら)んでおり、
シャネルのモードと通底するものがあります。

しかし、彼の服飾革命は、着道楽で知られた
時の摂政公(後のジョージ4世)の庇護にあったことが大きいのですが、
新たな時代の新たな美が、確かに提示・浸透し、後の展開へと時代を進めています。

つまり、男性服は、女性服よりも、
先駆けてシンプルなデザインになっていたのです。
シャネルが活躍し始める20世紀初頭では、
男性服は、現代的なシンプルなテーラードスーツで、
女性だけが、一人では着れない不自由な装飾過剰なものでした。

それは、男性の方が、先に可能性が開けていたからです。

装飾には、富と権力の誇示という意味以外に、
もう1つの意味があります。

「働かない」ということです。

支配階級や上流階級は、労働は、賤しいもの、
つまり貧困と結びつき、「働かないこと」は富める証拠でした。
ゆえに装飾には、「働くこと」を卑下する解釈が暗に漂っています。

しかし、産業革命によって、「働くこと」は、
富を得ること、独力での成功を意味するようになります。

ゆえに、廃れた「装飾」は拘束衣と化し、
合理的で動きやすい「シンプル」は、
能力の発揮、隷属からの解放、自由を意味します。

この「働く」ということの本質的な意味は、
英語の「Work」のコアイメージを知ると理解できます。
そのものの持っている力、本来の力を発揮する、
あるいは発揮させるという根源的な意味です。

Workの意味を発展させると、愛の定義になります。
愛の定義は様々ですが、この定義にはシャネルの仕事を
うまく要約しています。

「愛」とは、対象がもつ働きを、
もっとも美しく生かす働きかけのことである。(作者不明)

これが、単なる20世紀モード革命で総括できない
ココ・シャネルの根本的意図(コンセプト)であり、高い評価は
そこからきています。そして彼女が示した仕事(シンプル)の正体です。

美の役割の大きさを暗示するのは、
エステティック(美)の
反対語であるアニステティック(麻痺)が、
"無感覚"---生きながら死んでいる状態----を意味するということである。
(感覚の世界/イー・フー・トゥアン著より)

さらに、この美の役割の定義をもってすると、
シャネルは、女性たちの有史以前からの麻痺を解毒する美だ、といえます。
ゆえに、彼女の存在、そのもの自体が極めて刺激的です。

既成のモラルをものとせず、ハンサムなロシア貴公子、英国公爵、
一流芸術家たちとの誰もが羨む華麗な恋愛遍歴。
自らが、人々を魅了するシャネル・ブランドを体現する一流のモデル。
鼻持ちならない支配者階級の19世紀的美学の息の根を止めた皆殺しの天使。
捨て子同然の身で、富を築いた男性顔負けの辣腕経営者。
15年のブランクから、齢、71歳での奇跡の復活劇。

女性のうちにある火種(野心)を、彼女のエレガンス(美)が発火させ、
当時のモラルから考えれば、男性にしか許されていない禁断のフィールドにさえも、
女性を、不法越境させた触媒だったのかもしれません。

美という刺激は、人の生きる力(能力・意欲)を目覚めさせます。

つまり、シャネルのデザインの凄さは、
従来の女性に与えられていた定義、解釈、常識を、
新しい定義を孕(はら)んだエレガンス(美)で書き変え、
女性たちに新しい意識を開かせたことにあります。

では、シャネルのモードとは
具体的にどんなものだったのでしょうか?
リストアップしてみます。

●1908年 (25歳)「シンプルな帽子」
●1910年 (27歳)「パンツスタイル」
●1916年 (33歳)「ジャージドレス」
●1917年 (34歳)「ショート・カット」
1921年 (38歳)「シャネルNo.5」
1924年 (41歳)「ビジュー・ファンデジー(フェイク・ジェエリー)」
●1926年 (43歳)「リトルブラックドレス」
●1956年 (73歳)「シャネル・スーツ」


●1908年 (25歳)「シンプルな帽子」
 20世紀初頭のファッションは身分差が濃厚に表れたものでした。
 しかし、やがてその差異は無くなっていきますが、
 上流階級への嫌悪感からうまれたシャネルのシンプルな帽子は
 その第一歩といえます。しかし、そうした動機とは裏腹に
 過剰な装飾性を排したシンプルさが気品を感じさせ
 上流階級の女性たちの評判を得ました。
 当初はデパートで買ってきた既製品に手を加えただけのものでしたが、
 やがて店を持ち、シャネルの帽子が、その評判から舞台衣装にも
 使われると、ファッション雑誌に大々的に取り上げられるようになり、
 彼女のデザイン革命が、順調に口火をきります。
 それは「エレガンス=装飾(豪華と贅沢)」を廃絶するものです。

●1910年 (27歳)「パンツスタイル」
 シャネルが1910年に初めて高級リゾートビーチで
 エレガントなセーリングパンツを履き、
 その後、彼女のスタイルに心酔する女性たちの間に広まります。
 1916年には、パンツルックを発表し、
 1920年代には、まだ一部の女性だけのものでしたが、
 一般に広がる契機をシャネルがつくっています。
 女性がズボンを履くという象徴的な意味は、
 男性並みに能力を発揮することにあります。
 それは男性領域への侵略であり、激しい非難にあいました。
 しかし、第2次世界大戦(1936-1945)中には、
 男性の代わりに屋外や工場で働くため女性がスボンを履くようになります。
 女性たちは自分たちの確かな能力やスボンの実用性に気づくことで、
 本格的に、仕事にも、パーティーにも、
 パンツスタイルのエレガンスが、愛用されるようになります。
 1909年、ポール・ポワレがハーレムパンツ、
 1966年にイブ・サンローランも、ル・スモーキングという
 女性らしいパンツスタイルをデザインしています。

●1916年 (33歳)「ジャージドレス」
 日常生活から解放される高級リゾート地ファッションとして
 デザインされたものです。男性下着の布地・伸縮自在のジャージで
 動きやすさ優先のエレガンスをデザインしました。
 このデザインで、シャネルは、女性にコルセットを外させた
 デザイナーといわれるようになります
 1917年、仏・英・米国の各版のヴォーグ誌にも取り上げられ、
 下着生地をオートクチュール(高級仕立服)の領域まで高めたと評価され、
「ジャージ生地の支配者」とよばれました。
「それまでジャージーは下着にしか使われたことがなかったが、
 わたしはあえて表地に使って栄光を授けた。」とシャネルはいいます。
 そこには「エレガンス=富・贅沢」を否定する意識と、
 第一次世界大戦(1914-1918)での銃後を守るため男性の仕事を代用する
 女性を働きやすくし、そこから自由と自立の気分をも
 女性にもたらしたといわれています。
 シャネルは、この成功で、自分の時代がきたと実感しています。

●1917年 (34歳)「ショート・カット」
 結い上げたわずらわしい長い髪、つまり女性を束縛する
 従来からの女性美のシンボルからの解放です。
「ショートカットが流行したのじゃないわ。私が流行ったのよ」
 シャネルの有名なことばです。自活できる職業を選び、自由恋愛からの結婚、
 でもその夫に失望すれば離婚を選ぶショートカットの
 ヒロインのストーリーが、100万部のベストセラーになっています。 
 それが、1922年の小説「ギャルソンヌ」です。
 それはシャネルであるかのように見えるものでした。
「わたしは自分の主人であり、自分以外の誰にも依存していない」と
 シャネルはいいます、それは愛人でありパトロンであった、
 ボーイ・カペルからの借金をすべて返済し自立したことによります。
 つまり、彼の囲われ者でなく、彼と対等になったわけです。
 そしてカペルが、自分とは結婚しないと確信した時に、
 彼が気に入っている長い髪、古くさいと思っていた
 腰まであった長い髪を、ばっさりと切ったともいわれています。

1921年 (38歳)「シャネルNo.5」
 あらゆることで、他に類をみない革新的な香水でした。
 ゆえに「No.5」以前の、装飾過剰の19世紀的なロマンチックな香水、
 単純な花の香りを流行遅れにした香水です。
「新しい時代の香りがする香水じゃなくちゃだめ」このシャネルのオーダーから、
 80もの成分が含まれた花の香りと画期的なフローラルアルデヒドが用いられました。
 このフローラルアルデヒドは、花の香りを強調するもので、
 自然の香りを強く出すことができ、フレッシュで生き生きした香りが
 今までになく長くもつものでした。そして、男性的なスクエア(四角)でモダンな瓶、
 無機的な品名「No.5」、さらに自分の名前をつけるのもはじめてのことであり、
 パッケージも白地に黒で「No.5 CHANEL」だけの斬新なものです。
 こうした施策が見事にあたり、世界で最も売れるNo.1香水になります。
 その容器(瓶)は、傑作美術品としてニューヨーク近代美術館入りをします。

1924年 (41歳)「ビジュー・ファンデジー
「あらわな胸元は金庫であってはいけない」のことば通り、
 シャネルは、アクセサリー(宝石)を、富や家柄の象徴でなくし、
 自由で純粋なエレガンスにデザインし直しています。
 当時のアクセサリーには、高価な宝石と、質の悪い安物、偽物の装飾品だけでした。
 本物以上に装いを引き立てる第3のアクセサリー(偽造宝石)を誕生させています。
 イミテーション・アクセサリー、フェイク・ジェエリーともいいます。
「エレガンス=富・贅沢」という旧来の公式を葬り去っています。
 他に、ポール・ポワレ、エルザ・スキャパレリも同時期にデザインしています。

●1926年 (43歳)「リトルブラックドレス」
 不朽のスタンダードで、欧米では女性の必需品とされています。
 喪服の色、あるいは、汚れが目立たぬため労働者層の女性が
 着るものだとされ、避けられていたのが黒であり、その慣習を覆しました。
 昼はミニドレス、夜はロングドレスというルールも反古にしています。
 何の飾りも無いシンプルな黒いワンピースのデザインは、
 年齢を問わず、どんな時間帯でも、ビジネスでもフォーマルから
 パーティー、お洒落着など、様々なシーンでも着ることできます。
 それは、ジャケットを羽織ったり、パールのネックレス、バッグ・靴などで
 コーディネートを変えることで、幅広いTPOに対応できる便利なものだからです。
 一度は着る制服、女性にとって欠かせない1着だといわれ、
 その革新性によって大流行しました。
「シャネル製作のフォード車」とモード誌ヴォーグ米国版が書いています。
 フォードとは大量生産に成功した大衆車のことで、
 欧州では上流階級の娯楽だった自動車を大衆化し、
 その実用性の高さからアメリカ社会を大きく変えたものです。
 香水「シャネルNo.5」とともに、彼女の成功を決定づけました。

●1956年 (73歳)「シャネル・スーツ」
 15年のブランクを経て劇的なカムバック後のデザイン。
 ツイードの襟なしジャケットとスカートを組み合わせたもので、
 時代に左右されない、時代を超えた定番アイテムです。
 仕事にも、夜のパーティーにも着られる、合理的なスーツであり、
 上等なドレスです。リトルブラックドレスと同じように
 様々な魅力的な表情をうみだすコーディネートのひと工夫が力を発揮します。
 当時の欧州ではクリスチャン・ディオール
 ニュールックの時代でコルセットによる細いウエスト、
 膨らんだスカートなど動きづらい旧時代のロマンチックなモードが
 一世を風靡していました。それは第二次世界大戦による
 陰鬱さからの反動で、女性たちが、華やいだものを求めたからだ
 といわれています。ゆえに、再開したコレクション、
 シャネルのシンプルなモードは1930年代の亡霊などと酷評を浴びています。
 しかし、この時代は「美の消費」の中心が上流階級から、大衆へと移り、
 働かなくてもいい女性から、働くことで人生を切り開こうとする女性へと
 消費の中心が変化しています。それが、支配階層がなく合理的な国、
 アメリカンドリーム、ウーマンリブの国、アメリカでした。
 このシャネルのモードは、このアメリカで、圧倒的な支持と売れ行きを誇りました。
 アメリカではディオールのニュールックで働くことは、現実的ではないようでした。
 シャネルは、常にアバンギャルド、時代を挑発する先導的存在でしたが、
 この時代になって彼女のような女性が多数をしめる時代が到来します。
 そして、トワル(型紙)に縫製仕様書による大量生産、安価な既製服として、
 シャネルのモードは、はじめてあらゆる社会階層の女性たちにも
 手が届くものとなります。「71歳でガブリエル・シャネルはモード以上のもの、
 つまり、革命をもたらしている」アメリカのライフ誌が書いています。



「National History Day 2012, Coco Chanel


シャネルが生きた20世紀は、激動の時代です。
二度にわたる世界大戦は、長期にわたる総力戦で、女性さえも動員されました。
さらに、大量生産・大量消費における豊かな大衆消費社会が幕開けした時代です。

こうしたなかで、シャネルのキャリアは、
帽子店から数えると61年もあり、たとえブランクの15年を
引いたとしても、46年にわたります。移り変わりの
激しいモードの第一線で成したとげたシャネルの仕事とは何でしょうか。

それは、「歪んだエレガンス」を廃絶し
「健やかなエレガンス」を誕生させたといえます。

そのシャネルの「健やかなエレガンス」とは、
女性たちがもつ本来の働きを、もっとも美しく(素晴らしく)生かす
働きかけだといえます。

それに反して、20世紀初頭の装飾過多で「歪んだエレガンス」は、
男性からの束縛と女性自身の依存によっても、
女性たちがもつ本来の働きを封じ込めていたといえます。

彼女たちは「無為無力」な他力の存在でした。
自ら空疎な存在が、美しいわけがありません。

一方、シャネルの健やかなエレガンスは「有為有力」であり、
働くことや、恋愛によって、人生を豊かにしようとする自力の女性です。
自らの充実を目指し、意欲的な存在が、輝かないわけがありません。

彼女が追い求めたエレガンスとは、
実用主義に徹したものであり、地に足がついたものです。
それは、使うこと(活動すること)に誠実につくられたものは、
自ずとシンプルに洗練されていて美しいというものです。

また、そのシンプルさは、大量生産、安価な既製服としても、
シャネルのモードは、はじめてあらゆる社会階層の女性たちにも
手が届くものとなり、彼女は名声を得て、自らのブランドを確かなものにしています。

ところが、「モード以上のデザイン革命」と
アメリカのライフ誌が書いたのに、シャネルは意外なことをいいます。

「自分はファッション界に
 革命をおこすのだという自覚があっただろうか?
 そんなこともまったく意識になかった。」
 
しかも、始まりはズブの素人で、
彼女は、デザイナー経験など無いただのお針子でした。
デザイン画も描けない、
裁断も出来ないクチュリエール(女性デザイナー)です。

でも、彼女は、知っていたわけです。
何が求められているのか、何をすればいいのか、を。

それを教えてくれたのは、
シャネルを動かしていた「怒り」です。

善くも悪くも、私たちはよく分からずに、
物事の価値基準が、いつの間にか刷り込まれてしまいます。
そして、その内なる意識に無自覚に動かされ、
それが、また、知らぬうちに自分の限界を形づくっています。

シャネルは、普通では染まってしまう
当時の女性定義、解釈、常識に、怒りをもって反発し、
闘いを挑み、女性定義を書き変えていきます。

その怒りは、シャネルの生い立ちに由来します。
彼女のその生い立ちは冷酷なものでした。

シャネルは、貧しい行商人の三男三女の娘として生まれ、
父はその行商のために留守が多く、常に病気がちであるのに母は、
浮気性の夫を監視するために、家事・育児を投げ出し
家をたびたび空けて追いかけたといいます。その母を12歳で失っても、
親戚には引き取りを拒否され、修道院に預けられ、
彼女は修道院の孤児院で厳しく育てられます。

必ず迎えにくるといった彼女にとってハンサムで最愛の父は、
姿を一度も見せず、彼女は捨てられ、裏切りと寂しさ、
そして、貧困と不実・不信、厳しさが、強く心に刻印されたようです。

それに反して、初めての愛人、
上流階級のエチエンヌ・バルサンとの暮らしから垣間みる
上流階級の女性たちは、生まれながらにして、
すべてをもっているかのように恵まれています。

シャネルは、この不条理から、
反逆心を抱かずには、いられなかったわけです。

「翼を持たずに生まれて来たのなら、
 翼を生やすためにどんなことでもしなさい」、シャネルの名言です。

つまり、己の無力さから、
自由な世界へ飛び立つための翼(独力・独歩の力)を希求する
この「切実な飢え」が、彼女の目(美の羅針盤)であり、
彼女のエネルギッシュさの正体です。

その反動として、上流階級の装飾過剰の「歪んだエレガンス」を
あるいは、19世紀的美学を皆殺しにしたといわれるわけです。

彼女の「切実な飢え」は、20世紀の女性たちが抱え始める
「切実な飢え」でもあり、ゆえに、シャネルは、
新しい時代の新しい女性自身でした。
シャネルの服は、自分が着るためのものとしてデザインされていますが、
それは、そのまま20世紀に生きる新しい女性たちの服となっていきます。

およそ半世紀にわたって、服飾史に名を残す多くの俊英たちに打ち勝ち、
打ち負かした彼女が、死ぬ前日まで、第一線で活躍できるほどカンが冴えていたのは、
シャネルの「怒りの目(切実な飢え)」が、
誰よりも、この時代の問題の本質を捉えていたからです。

美とは、何か?

美しく見えるから、美しい。
多くの人は、そう考えます。

しかし、
美とは、何を素晴らしいかと
考えるかによって、変わってしまうものです。

出来事に、予兆があるように、
何が、今、素晴らしいのかを、指し示すように、
美は、私たちの心に、喚起してきます。

喚起とは、よびかけです。
注意、自覚、良心などを、呼び起こすこと、です。(辞書より)

私たちの仕事(Workの根源的な意味)として、
私たちが、実現しなければならないのは、
自らと他者の生(体・心)を、
飢え・麻痺から救い、健やかに充実させる(輝かせる)ことです。


それが「素晴らしい(美)の正体」です。

そして「常に、真実は、新しい」というように、
社会も、人々も、変わるがゆえに、
つねに、新しい「美(覚醒)の発見」があります。

そして、その「美」は、私たちの生活を形づくる
商品・サービスの目的、あるいは、それを担う会社の目的として
必然的に、行き着くようになります。

それは、私たちの世界がそうなってしまったからです。

次に、そうなってしまった経緯、
つまり、美(覚醒)による、私たちの世界の(革命的)変化です。



このページの文章は、以下の続編になっています。興味のある方はお読みください。
「美とは、何か?、それは人の急所です。」


デザイン革命に興味のある方はこちらもお読みください。
『iMacのデザイン革命』


<特集記事>
なぜブランディング・デザインで失敗する会社が多いのか
http://www.axle.biz/vi_brand_design.html


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https://www.axle.biz


ロゴマーク」で、 「ブランド並みのイメージアップ」をしたい経営者の方へ。
https://www.axle.biz/vi_low.html


<新しいブログ始めました>
ブランドとdesigndom



名言「翼を持たずに生まれて来たのなら、

翼を生やすためにどんなことでもしなさい」までの物語です。
つまり、シャネルが、成功するまでのストーリーです。
だから、題名に「アヴァン(〜の前の)」がついています。
孤児院での預けられるシーンから、愛人ボーイ・カペルの死で終わるストーリーです。
最初の愛人、エティエンヌ・バルサンは金持ちで、働くことは恥(貧しさだ)という人であり、
二番目の愛人、ボーイ・カペルは、ある事業家の私生児であり、
自力で、ビジネス(働くことで)によって成功した人。
前者は馬や馬車に乗る人であり、後者はレース・カーに乗る人として描かれています。
三者の恋模様が主題で、シャネル・モードは脇役です。
フランス語が、素敵です。

ココ・シャネル [DVD]

ココ・シャネル [DVD]

  • 発売日: 2010/01/20
  • メディア: DVD
1954年、復帰コレクションから回想が始まります。
それは、母の死から始まり、孤児院、お針子時代、
エティエンヌ・バルサン、ボーイ・カペルとの出会い、その恋模様の中で、
ポール・ポアレ、シャネル・ブランドの起点である帽子のデザイン、
最初のブティック、コルセットなしのジャージドレス、シャネルNo.5、
カペルとの別離でのショートヘアー、リトル・ブラック・ドレスなど、
シャネル・モードを紹介していきます。さらに、シャネルのロゴマーク
デザインをするシーン(常識を覆すように「C」をひっくり返す)もあります。
ざっくりシャネルを知ることができます。



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美とは、何か?、それは人の急所です。

「美」の役割とは何か?、
それは、生命のなかに仕組まれて、
あるべき状態へのナビゲーション、水先案内として働きます。

「水先案内」とは、船の針路の案内をすること。転じて、
「未知の分野においてガイド的な役割をはたす」こと、です。
はてなキーワードより)

そこから導きだされるものは「美とは人の急所だ」ということです。
「急所」とは「命(体と心)にかかわる大切なもの」のことをいいます。

ずっと昔に、映像で見たのですが、
その頃から、不思議に思っていたことがあります。

アフリカのマサイ族です。
彼らは、飼育する牛の頸動脈を死なない程度に
小さく切って日常的にその血を飲んでいます。
およそ一人に、小さなコップ一杯分くらいでした。
それで、彼らのヨーグルト中心の食生活での栄養の偏りを
補っているのだそうです。その血の中に、彼らの日常食ではとれない
ビタミンCと鉄分があるからです。
しかし、見た目の気持ち悪さは忘れられません。

人間は、お腹いっぱい食べても、ビタミンが摂れないと死ぬそうです。

事実、日露戦争では、玄米を(味を良くするために)白米に精製したことで、
兵が、脚気となり、約2万7千人が死亡し、17万人が動けなくなったことは
有名な話です。脚気ビタミンB1欠乏症です。

しかし、牛の血に、ビタミンCと鉄分があることを、
どうやって、彼らマサイ族は、見つけたのでしょうか?
そもそも、ビタミンや鉄分などを、知っているわけがありません。
不思議なことです。

しかし、その答えが、見つかりました。

救命ボートで75日漂流した後、運良く助けられた人の話です。
彼は、乗っていたヨットが沈没した後、救命ボートに
備え付けられていた釣り具で、魚を取ってその肉だけを食べていたそうです。
しかし、魚の肉だけでは人は生きられません。
前述したとおり、それだけではビタミンが摂れないからです。
しかし、彼は、その後、魚の肉だけではなく、
ちゃんとビタミンのある魚の目や内蔵を食べていました。

彼はそれを知っていたんでしょうか?、いや、それは知っていたのではなく、
「美味しいそうに思えたからなんです、強い食欲を感じたのです。」と
彼は答えています。

生の目や、内蔵が、食べたくなるほど、
美しく(美味しそうに)見えたわけです。

もちろん、生きるために必要だから、
脳がそれを摂取するように働きかけたわけです。

その人の立ち位置(状態)によって、
見えるもの(美醜)は変わっていきます。

彼の状態は、捨ててしまう生ゴミが、ご馳走になった瞬間であり、
それは、いいかえれば、今、必要とする「美(エネルギー)を、発見した」瞬間です。

美は、水先案内であり、私たちは内(命)から導かれていきます。

慶応義塾大学の川畑秀明准教授は、
曖昧な美しさの定義を、脳の働きを測定することで、
明らかにしようとしています。

その方法は、MRIで、美しい絵を見た脳の反応を測定するものです。
美しいと思うとき、目の後あたりにある眼窩前頭皮質(がんかぜんとうひしつ)と
呼ばれる脳の部位、この部分の活動が高まるそうです。

意外なことに、あることをしているときにも
大きく反応するといいます。

その、あることとは、美味しいものを食べたときです。

美しい絵を見た時と、美味しいものを食べたときは、
脳の同じ部分が反応します。
そういう感動体験をしている時に眼窩前頭皮質は、
活動が高まります。

その眼窩前頭皮質は、報酬系というメカニズムの一つで、
絵を美しいと感じるときは、私たちの脳にとって
あるいは生活にとっての一つのご褒美になるそうです。

それは、褒めて育てるというように、褒められたという喜びが
「人の意欲というエネルギーを高めてくれる」ということと
同じ働きをするということです。

そこに、もう一つの美の役割があり、
美は、生きる(意欲)ということに強く関係しています。

ゆえに、食に、関係づけられていると思います。

美(という刺激)が、生きる力に、
深く関わっている実例をもう一つ紹介します。

美味しさ、つまり、味には五つの要素があります。
酸味・甘味・塩味・苦味、旨味ですが、
この旨味は、1908年、東京帝国大学・池田菊苗教授が発見したものですが、
海外では、うまみは風味のようなものとして軽んじられていたようです。

ところが、2002年、うまみ成分の一つグルタミン酸に反応する
受容体が舌の表面だけでなく、胃や腸など消化管でも発見され、
旨味は、甘味や、苦味などと並ぶ第五の味覚として世界で確立され
脚光を浴びたのです。

医療の世界では、この旨味の強めた食事を与え、
認知症の治療効果を上げようという試みがはじまっています。

なぜならば、その受容体が、旨味を感知すると脳に信号を送り、
胃液の分泌を促すなど消化機能のスイッチの機能があると考えられ、
この機能が、認知症の患者の生活を改善する可能性があると
みられているからです。

認知症の入院食は、水分を多めにしてミキサーにかけたり、
薄味にして旨味が少なくなる傾向があり、そこで、お粥などに旨味成分を
実験的に加え、食事の取り方が変化するかという調査が行われました。

調査前はベッドにもたれて食事をしていた認知症患者は、
開始から3ヶ月後、体を起こして積極的に食べるようになり、
調査を受けた11人のうち、全員で、顔の表情の改善が見られ、
発語がしっかりする、会話に成り立つようになるなど変化が
見られたといいます。

旨味を感知した受容体からの信号が
脳に刺激を与えたために活性化したとみられています。

旅の文化研究所民俗学者神崎宣武所長は、
「気枯(けが)れる」ということをいいます。

「一カ所にずっといると、鬱積(うっせき)するものがある
 それ(気枯れ)を晴らすために旅に出る。」そうです。

「普段の気があります。この普段の気が労働とか、
 あるいは、同じような人間関係のなかで疲れてくると、
 古いことばでいうと、気枯れる、気枯れが出てくるんですね。
 その気枯れをほっとおけば病気になる。
 さらにほっておけば死にいたる。
 気枯れかかったら、治す。
 その一つの行動パターンが、旅だったんだろうと思うんです。」
 といいます。

この気枯れという体感状態、フィーリングは、どなたにもわかると思います。

「感覚の世界(イー・フー・トゥアン著)」という本には、
「美」について「気枯れ」のような内容が書かれています。

「美の役割の大きさを暗示するのは、
 エステティック(美)の反対語であるアニステティック(麻痺)が、
 ”無感覚”----生きながら死んでいる状態----を意味するということである。」

いいかえれば、私たちは、お腹いっぱいでも飢えています。
あのヨットで遭難した彼と同じようにです。

何に飢えているのか?
それは、いのち輝かせるものに・・・、です。

肉体的にも、精神的にも、
「美」は、生のエネルギー(意欲)を触発させます。
それは、人々の可能性をも拓く力、パワーがあります。

そして、いつの時代にも、
わたしたちが、今、必要とする切実な飢えがあり、
そのための「美の発見」があります。
そして、それを、いつの時代にも、発見する水先案内人がいます。

次に、20世紀最大のデザイナー、水先案内人を紹介します。


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ロゴマーク 意味【フレームワークス社】

Visual Identityにおけるロゴマーク・デザインの事例です。
社名変更による新ロゴマーク開発です。

2001年、株式会社フレームワークスと社名変更されたおりに、
株式会社エクゼは、新たな展開を期して、ビジュアル・アイデンティティ
導入されました。

フレームワークス社は、サプライチェーン最適化システムの
インテグレーター(物流事業者)です。物流センター・倉庫管理システムを
中核とするロジスティクスソリューションプロバイダ事業で、
ソフトの開発・販売だけではなくコンサルティングサービスまで
幅広く手がける成長企業です。小さな規模に対して、
顧客は日本を代表する大企業です。その主要な導入先には、日本ビクター、
ヨドバシカメラエルメスジャポン、ダイエー三井物産、パイオニアなどです。

当時、ビジネスでのインターネット時代を迎え、ITを使い物流自体の革新を
図る時でした。インターネットは遠隔地の情報の入手やコミュニケーションの
ための時間・距離を短縮でき、様々なサービスが利用可能だからです。
ところが、データとものの動きの連携では、同期が取れず、
物流そのものを変えることができませんでした。

そうしたなか、物流業界のデファクトスタンダードに近づいている
自社商品を基軸に現行の「e-Logistics」に対する「DIGITAL LOGISTICS」を
打ち出し、物流に関わるビジネスの枠組、フレームワークを構築することを
新社名としたのが、フレームワークス社です。

現代社会の背景にある根本的な問題と関係(呼応)するものがビジネスです。
フレームワークス社の誕生も同様であり、視野の狭い対象療法的な
問題解決(手段)ではなく、本質的な問題解決である「目的」を描くことで、
深い洞察を示すことができ、解釈(評価)のされ方が大きく違ってきます。

ゆえに、そうした内容にふさわしい美的刺激としての
シンボル(ロゴマーク)のビジュアル化を行なっています。

そのシンボルであるロゴマークの解釈(創見)は、
物流戦略による「ビジネスパワーの再創造」であり、そのモチーフは、
ギリシア哲学の「ウロボロス」です。


(図:八坂書房・世界シンボル事典)

ウロボロスとは、自分の尾を呑込む、輪になったヘビまたは竜(ドラゴン)の
ことで、その終わりが始まりとなる形から、「生命の継続」、「永遠性」、
「宇宙の統一」などの意味をも持つようになった記号論的な竜です。
つまり、この竜は、自然や宇宙のあり方、大きな世界を表現しています。

不要なものを飲み込み消失させ、真に必要とされるものを生みだされていく、
ダイナミックな永遠、循環、調和(最適化)、つまり、物流としての生命力、
創造力をシンボライズするものとして、ウロボロスというモチーフを
使っています。

物流や流通チャネルの全体最適のための企業連携の仕組みサプライチェーン
勝ち残りの条件、「戦力の集中」「継続的な補給」「迅速な撤退」なども
象徴できるものです。

自然のダイナミックな摂理を、フレームワークス社のビジネスパワーの再創造と
むすびつけることで、その価値の発見を促す本質的把握を示し、
第一印象を良くするだけに終止する美的シンボルとは一線を画しています。

さらに、即感印象としても、リンク状の形態が、物流を、強く表し、
さらに、シンボルバリエーション(上部ロゴマークの背景パターン)をくわえ、
シンボルのもつテーマを、より印象強く表出したグラフィックも用意しています。
名刺、封筒をはじめアプリケーションデザインにおいても
知的で高い信頼感を表出するデザインスタイル、VIデザインシステムを
構築しています。

何が本当に素敵なのか、何が本当に大切なのか、
何が真意(目的)なのかを、解釈させることで、
混乱していたものが、整理され、訴えるべき新たな解釈内容を
明確にすることができます。さらに、視覚の「美」を利用することで、
その魅力を理屈抜きで輝かせます。
美は、物事の解釈を書き変える刺激であり、変化の起点・始点になってくれます。

つづく(別事例です)・・・・・・・


同じ内容ですが、デザインがよく分かるこちらのページもご覧ください。


<特集記事>
ブランドを成功させる新しい秘密のデザイン手法を教えます。
http://www.axle.biz/vi_brand_design.html


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ロゴマーク 意味【EAPサービス】

 
Visual Identityにおけるロゴマーク・デザインの事例です。
会社のロゴマークではなく、コミュニケーション・シンボルと呼ばれるものです。

日本社会は、平成10年以降、自殺者が毎年3万人を超えています。
そして、近年、心の健康問題を有する労働者は2%以上、ストレスを感じる労働者は、
6割を越えています。そうしたなかで、EAPサービスを導入する企業が増えています。
株式会社フジEAPセンターは、東海地区で、このEAPサービスを提供する会社です。

EAPとは、Employee Assistance Programの略で、
従業員支援プログラムと訳される、企業・団体向けのカウンセリングサービスです。
EAPの目的は、仕事の生産性の向上です。ごく早期にうつ病などによる
生産性の低下に対応できることが注目されていますが、モチベーションを向上させる
コーチングやキャリアカウンセリングなど支援する範囲は、仕事の生産性に、
影響をあたえるあらゆる問題であり、広い守備範囲があります。

しかし、導入企業の社内では、うつ病という深刻な問題に焦点がいき、
EAPカウンセリング=治療」というメンタルヘルスの根強い支配的な
解釈がうまれています。ゆえにEAPの実体(目的)が誤解され敬遠されています。
そのために、EAPサービスの利用率向上のために、この解釈を書き変え、
本来の真の価値(目的)を発見させるため.フジEAPセンターからの依頼によって
コミュニケーション・シンボルをデザインしています。

EAPの定義は、企業のCS(顧客満足)を実現するための
ES(従業員満足)を重視する、仕事の生産性の向上が目的になっており、
企業にとって導入されやすい優れた解釈が設定されています。
さらに、エクセレントカンパニー(超優良会社)に不可欠なプログラムとも
解釈されています。

それに、ふさわしい美的刺激としてのシンボルのビジュアル化を行ないました。

多くのビジネスは、現代社会の背景にある根本的な問題と関係(呼応)しています。
EAPサービスも同様であり、視野を広げて対象療法的な問題解決(手段)ではなく、
隠れている本質的な問題解決である「目的」を描ければば、深い洞察となり、
解釈(評価)のされ方、理解のされ方が、大きく違ってきます。

ゆえに、このEAPサービスのコミュニケーション・シンボルの解釈(創見)は、
「生きる力をうみだすエンジン(心)を創る」です。

このシンボルの造形は、可能性を意味する「∞」から広がる輪で、
行動をうみだす「心臓」と「脳」のダブル・イメージとして表現しています。
つまり、人々が行動をうみだすのは、「エンジン(engine)」としての
動力源「心臓(ハート)」と「脳(マインド)」の無形の力によるものだからです。

それが、EAPにとって、根強い誤解である「精神疾患の治療」を覆す解釈です。

特に「engine」という言葉の定義は、「持って生まれた才能、天才」という
ラテン語源からきており、英語ではさらに「新しい物を生み出す才能」という意味で
用いられています。この意味内容によって「EAP」の真意(目的)を示しました。

また、ビジネスピットインというテーマを、フジEAPセンター社よりいただいており、
周回するコースもイメージしています。線上に沿って外から移動することで、
内なる「∞」を発見する、現状の振り返りが、今後に生かす
精神的エネルギー補給になり、今後の行動指針・可能性を引きだしていくことを
示しています。定期的にEAPの利用の必要性(循環する考え方の浄化)も示めしつつ。
ピットインの役割りとしても表現し、EAPの示しづらい必要性も表現しました。

その造形、カタチからの即感印象は内発する躍動と成長(∞)を表現しています。
それは、モチーフのハート(心臓)のラインで、行動へと人を向かわせる栄養を
含む血液や、息吹(新鮮な酸素としての気持ち)を、循環させることも描いています。

何が本当に素敵なのか、何が本当に大切なのか、
その真意(目的)を、解釈させることで、混乱していたものが、整理され、
誤解されている支配的な解釈を書き変えることができます。
さらに、視覚の「美」を利用することで、誤解から魅力を失っているものを
蘇生させ輝かせます。美は、物事の解釈を書き変える刺激であり、
変化の起点・始点になってくれます。

つづく(別事例です)・・・・・・・


同じ内容ですが、デザインがよく分かるこちらのページもご覧くださ


<特集記事>
なぜブランディング・デザインで失敗する会社が多いのか
http://www.axle.biz/vi_brand_design.html


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VIデザイン=「目的の創造性→Vision(創見)」

 
デザインというものは、謎が深いです。
とくにビジュアル・アイデンティティというデザインは理解しづらい・・・。
そのデザインの核になっている、コミュニケーションとは、そもそも何だろう・・・。

そう考える中で、私は、その根本的な性質(力)に、気付きました。

コミュニケーションというのは、
伝えることより、その本質にあるのは『解釈』だ、ということです。
そして、その「解釈」は「本質的な変化(覚醒)をもたらす」ものです。

それが、私のいう「解釈の創造性」です。

コミュニケーションの専門家の本には、人は伝え方ばかりに関心を持つが、
自分に目覚め、理解してもらいたい自分、相手に伝えたい中身を成長させる
プロセスも、コミュニケーションである、と書かれています。

つまり、本来、コミュニケーションには、
「自分で自分を創造する(解釈の)力がある」ということです。
こうした経験が、ほとんどの方々にあるのに自覚されていないことが残念です。

自分自身の「解釈」や、自分自身が置かれている現実の「解釈」を変化させ、
自己や、他者に、その解釈を、自覚することや、伝えること、浸透させることで
「創造的な変化」がもたらされることを、ビジネスを中心に、
様々な事例・出来事で伝えてきました。

とくに、ドラえもんの声優の大山のぶ代さんの話は
誰にでも経験があると思います。(その話の内容はこちらの中ほどにあります)
あの人のあの一言で自分の人生が変わったというようなストリーです。

つまり、コミュニケーションには、伝える以上の力が存在しています。



ゆえに「ビジュアル・アイデンティティ」という
組織の創造的変化を産みだすクリエイティブ・ワークとしての
コミュニケーションデザインが成立するのだと思います。

ビジュアル・アイデンティティアイデンティティとは
自己解釈のことです。ゆえに「解釈の創造性」が働きます。
そして、その正体は「目的の創造性」といえます。

iPod」対「ウォークマン」の新旧対決の構図のように、
これまでの技術や品質中心の考え方(解釈)に気付き、
人々のより豊かな生活 と、より良い人生を実現する、という
ビジネスの「真の目的」を発見(解釈)することは、
会社の成長・発展のために「創造的な変化」の起点となります。
(iPodとウォークマンの話はこちらです)

ビジネスの「真の目的」は、最近の硬軟ふくめた経営書のなかでも、
よく取り上げられているテーマです。なかでも、2009年に出版された
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」が、
200万部のヒットになり、ドッラカーの著書「マネージメント」が注目されました。
特に「企業の目的と使命の定義」が、注目されておりますので、
経営学の巨人、ドラッカーのその文章を掲げます。

  企業の目的と使命を定義するとき、出発点は1つしかない。
  顧客である。顧客によって事業は定義される。
  事業は、社名や定款や設立趣意書によってではなく、
  顧客が財やサービスを購入することにより
  満足させようとする欲求によって定義される。
  顧客を満足させることこそ、企業の使命であり目的である。
  したがって「われわれの事業は何か」との問いは、
  企業を外部すなわち顧客と市場の観点から見て、初めて答えることができる。

ドラッカーの著書には、「企業の目的と使命の定義」を見つけることで、
業績を回復した企業が紹介されています。それは自己解釈の創造性といって
いいかもしれません。もし、あなたの会社に、ドラッガーがいう
「企業の目的と使命の定義」があるのなら、その定義(解釈)で、
魅力的な感銘をうむ美的刺激としてのロゴマーク・デザインを
提供することもできます。

それが「創見(Vision)のデザイン」です。
(その内容はリンクページの中ほどのアップル・ロゴマークの説明にあります)

人に何かを伝えるときに、ものをいうのは「深い洞察」です。
なぜなら「感銘」を産みだすからです。

それが、”伝えるアイデア”、「刺激→洞察→感銘」という仕掛けです。
「創見」という独創的な見解(従来にない新しい意見)の正体は、
深い洞察から、感銘を産みださせるための「刺激」です。

ここでの深い洞察は、ドラッカーがいう「企業の目的と使命の定義」に
あたります。それはいいかえれば、目的のもつ創造性です。

しかし、「深い洞察」だけでは人々に魅力的には伝わりません。
そこへ前述したように「刺激」を加えることで、
心揺さぶるドラマチックなものになってくれます。

それは「一杯の水も料理である」や「GNH(国民総幸福量)」でも説明しました。
しかし、そこにある洞察は、誰でも知っているものですが、
「水も料理」であるとか、GNPならぬ「GNH」があることで、
人をハッとさせます。ゆえに、確かな「洞察」を「感銘」とするには
「刺激」が必要なのです。(その話の内容はこちらです)
そうした「刺激」が、目を引きつける「視覚的な美的刺激」となって
人々を魅了したら素敵なものになります。経営上の優れた武器、
コミュニケーション・ツールになります。

それらを、アップルのロゴマークは実現しています。

スティーブ・ジョブズは、こういっています。
自分が興味があるのはコンピューターを作ることではない。
自分が好きなのは、ふつうの人たちが潜在的なクリエイティビティー
開花させられるような道具をつくることなんだ。

これは、ドラッカーのいうの「企業の目的と使命の定義」です。

では、マイクロソフトの企業使命です。
世界中のすべての人々とビジネスの持つ可能性を
最大限に引き出すための支援をすること。
これは、マイクロソフトのウェブサイトに明記されているものです。

二つとも同じです。

しかし、この宿命的なライバルの存在感(解釈内容)はまるで違っています。
つまり、「洞察」だけでは、差異を産みださいことが分かります。

「齧られた林檎」というロゴマークがあってこそ、
アップルが、特別な存在として、私たちの心に迫ってきます。
「齧られた林檎」という気の効いたアイデアを、
「支配からの開放」という刺激として解釈させたことで、より深い洞察となり、
ドラマチックな感銘(感動)を人々に感じさせるコンセプト、
目的の創造性になっているからです。

アップルのロゴマーク「齧られた林檎」が、はじめから意図されてつくられはいません。
ペン画のニュートンの林檎から始って、bite(齧る)とデータ単位のbyteをかけて
「齧られた林檎」になっています。

しかし、アップルの「齧られた林檎」は「支配からの開放」という
劇的な解釈(刺激)を、テレビCM「1984」の制作者である
広告会社シャイアット・デイのリー・クロウに、上書きされ、
アップルの存在感(アイデンティティ)は一変しました。
これは、すばらしいクリエイティブ・ワーク(創造的変化)です。

しかし、このような(創見の)ロゴマークを、
「ただロゴマークを見ただけでは分からない」として、意味が無いと
判断する人もいます。しかし、昔とは違い今は誰でもがウェブを通して
情報を発信できるようになっています。いや、正確にいえば、
現代の会社は、ウェブサイト、ブログ、SNSフェイスブック等)を通して、
自らの情報を発信(主張)しなければならない状況と考えるほうが正しいはずです。

ゆえに、自社ウェブサイトでも、自らのアイデンティティ
(あるいはブランド・ストーリー)を語る会社が主流になっています。
それは、会社の規模の大小を問いません。

上で取り上げたマイクロソフトの企業使命もそのひとつです。
こうした流れを産むのは、あなたの会社のウェブサイトを、
あなたの顧客が、あなたの取引先が、あなたの会社に興味がある人々が、
法人が、見ないわけがないからです。

それらウェブサイト、ブログ、SNSは、
会社のブランディング・ツールでもあるといわれています。

私が手掛けた会社でも、自らのアイデンティティを自社ウェブサイト上で
明文化されているところもあります。それは、ブランド・ストーリーのように、
あなたの会社を特別な存在として、顧客や取引先に魅力的に語ってくれます。

こうした高度な表現内容をもつロゴマークをデザインしています。

そこに「解釈の創造性」「目的の創造性」「創見」があります。
それらは、経営者の望む会社に創造的な変化を産みだす
クリテイティブワークの本質的要素です。

つづく・・・・・・・


興味のある方は、こちらへどうぞ。
お問い合わせはこちらへ。


by Axle


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このブログで書いているデザインの説明は、私、独自の考えです。
解釈の創造性」「目的の創造性」「創見(Vision)」という言葉も
デザインの世界では普通には使われていない言葉です。
「解釈の創造性」は哲学の言葉としてあるようです。
「創見」は言葉として国語辞典に出ています。

こうした考え方は、長い時間をかけて、
ビジュアル・アイデンティティ(略称はVI)のデザイナーとしてできる
「最高の仕事とは何か」を追求してきた結果です。

一般的なデザイン、デザイナーの考え方では、ありませんのでご注意ください。
  

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「VIデザインシステム」と「アプリケーション・デザイン」

 
人の思いと行動は矛盾しやすいものです。

それが人間です。

しかし、思いと行動が一致したものには、
人を動かす確かな説得力が宿ります。

そこに一線を超えた真摯さがあるからです。

先に説明したとおり東京ディズニーランド(の仕組み)には、
矛盾や齟齬が無く、みごとにコンセプトを中心にまとまって(整合化されて)います。

その東京ディズニーランドのコンセプトは、
「あらゆる年齢のこども」のために「勇気と冒険」、
そして「ドリームズ・カム・トゥルー(夢は叶う)」が核心にあります。
人々にとって、何が本当に素敵なのか、
何が本当に大切なのか、という洞察(コンセプト)があるからこそ、
必然的に、感動(ハピネス=幸福感)が産まれてくる構造が、
ゲスト(お客さま)にも、キャスト(社員・アルバイト)にも、
様々なもの(アプリケーション・デザイン等々)に反映させて、仕掛けられています。

現実は、それでなくても、誤解と錯覚の世界であり、
さらに、ビジネスという立ち位置は、そもそもマイナスのステージです。
疑われたり誤解されて当たり前です。ゆえに、見せかけだけの偽物と
本物の閾値(境目/一線)を表現においても越える必要があります。

デザインを巧みに使いこなす会社は、会社とお客さまを、直接つなぐもの(媒体)、
つまり、コンタクトポイントをあらかじめ洗い出し、その中での最大の接点を、
自らのコンセプトの真意を証明できるようにデザインします。

自社のコンセプトを、鮮明に認知(理解・記憶・想起)してもらうためです。

多くの方は、魅力的なロゴマークだけを注目しますが、
会社をより魅力的に説得力をもって感じさせるのは、
どんなに素敵なロゴマークがあったとしてもロゴマーク単体だけでは不可能です。

今の人々は長年の成熟社会で目は冴えおり、
会社を見る目(解釈)は、とても覚めています。

ゆえに、素敵だと思うロゴマークには、かならず素敵な背景が
セッティングされています。アップル、スターバックス、ナイキは、
ショップをはじめ、ポスター、ちょっとした備品にいたるまでも、
実にそのブランドらしいデザインが展開されています。
しかし、あらゆるものをデザインするのは無理があります。
そのため費用対効果と閾値を考え、デザインするアイテムを選ぶことになります。

その選択したデザイン・アイテム(アプリケーション・デザイン)を中心に、
ロゴマーク(会社のコンセプト)を鮮明に強調する全体のビジュアルスタイルや、
その必要となる表示構成要素の選択と、表示ルールが必要になります。

それが、「VIデザインシステム」です。

会社の設定したコンセプト(アイデンティティ)を裏切らないように、
デザインシステムの原理原則に則り、デザイン展開していきます。
そのため、勝手な思いつきや、行き当たりばったりに、
デザインすることはなくなります。それは、つまり、はじめに
十分に熟考された表示スタイルが確立されシステム化(整合化)されて
いるからです。

一見、煩わしく感じますが、一々、個別に、後付けでデザインするより、
はるかに効率的であり、かかる経費のコストダウンにもなります。

つづく・・・・・・・


by Axle


ロゴマーク」で「ブランド並みのイメージアップ」をしたい経営者の方へ。
https://www.axle.biz/vi_low.html



デザインシステムの具体的な説明内容はこちらのページをご覧ください。