商品の価値を、逆転する、 本末転倒の成熟社会。

 
日本において、成熟社会が成立したのは、1980年代だといわれています。
その後、1990年代のバブル経済の破綻やその後長い不況、
さらに2008年秋、リーマンショックもあり、物価下落による経済の縮小という
「デフレ」の時代が続いております。

しかし、「消費の二極化」といわれるように、
支出を抑え低価格商品を選ぶ時代でありながらも、
自分の気に入ったもの、 こだわりの世界にお金を使うことは
厭(いと)わない消費状態が続いています。

近年、お金を使わなくなったいわれる若い人たちでさえ
同じ消費行動があり、売れるものは売れています。

こうした中で、商品・サービスとは、
「より豊かな生活 (充足)」と「より良い人生 (成長)」を、
実感するために存在するようになった、といわれています。

このような消費志向を分かりやすく理解できるものに、
QOL」があります。末期ガン患者のためのホスピスから生まれた概念で、
「Quality of Life」の略です。生活の質、人生の質という意味です。

苦痛を伴う延命治療などを止め、
残された人生を豊かに生きることを実現させるために生まれた概念です。

1993年、伊丹十三作品で「大病人」という映画があります。
そのなかの、三国連太郎扮する患者と、津川雅彦扮する医師の
激しいセリフのやり取りは、「QOL」を示唆するものです。

「俺の人生をメチャクチャにしやがって責任取れよ。俺の人生返せよ!」
「おいおい、人生なんか持ち出すなよ。人生は私の仕事じゃないよ。
 私が扱うのはあくまでも病気や体であって・・・」
「俺の体だ!。おまえがメスを入れているのは俺そのものだ!。
 俺の人生だ!。俺のしあわせだ!。おまえのメスのために
 俺の体があるんじゃないんだよ。
 俺の幸せのためにおまえのメスがあるんだ!。」というシーンです。

こうした医師の技術(手段の創造性)中心の意識は、
「病気の治療は進んだが、患者は激しい苦痛と死の恐怖のうちに死んだ」という
結果をうみだします。近視眼的な意識によって、
ほんとうに大切なもの(患者さんの残り少ない人生における生の充実)が、
ないがしろにされています。

「病院は死なすところじゃないけど、
 せめて死ぬまでを、一番いい生き方で生きてもらうということに、
 手を貸してあげましょうというふうにね、
 病院の方も、病気と闘うとか、治すとかっていうことだけじゃなくて、
 死ぬと決まった人を一番いい方法でたすけてあげるってことも
 病院のものすごく大きなね、我々が期待するね、
 役割なんだということの方にね、ちょっと価値をね、
 そろそろ転換していっていただく時期にきているのではないか
 と思うんです。」

当時の伊丹十三監督の言葉です。

さらに、伊丹監督は、1996年の「スーパーの女」の映画カタログのなかで
「スーパーは『暮らしの得』を提供するのだ」ということもいっています。

本物のスーパーは「暮らしの得」を提供する店であって、
「買い物の得」を狙う店ではなく、その商品を買う一瞬だけ、
得をしたと思わせるような商売のやり方を狙わない、余らせて、
捨ててしまうようなものではなくその商品を買って帰って、
食べ、使ってみて、生活全体が豊かになるような
設計がなされたメリット、それが「暮らしの得」だ、といいます。

こうした提案も、すでに30年前、20年前のものです。
「ほんとうに素敵なものは何か?」、「ほんとうに大切なもの何か?」、
「Quality of Life」という「目的」の根底に存在する考え方、
基調は、そこにあります。

そして、今、私たちビジネスに関わる者は、
すべからく、その答え(目的)を発見する必要があります。
なぜならば、以上のように、
ビジネスが単なる「手段(の創造性)」の販売だけに
収まらなくなっているからです。
 
つづく・・・・・・・


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